人は老いを積み重ねていきます。
それは、あなただけではなく、あなたの家族や、子供にも言えることです。
知らず知らずのうちにできないことが増えていきます。本人はショックを受け、周囲では「今までできていたのに…」というイラ立ちも芽生えるかもしれません。
今回は、病院で入院中に受けた認知症への対応で少々ひっかかるケースがあったので、どうすれば、どうされていれば良かったのか。
そして、なぜこの問題は起きるのかについて考えてみました。
病院で受けた認知症への対応
- 点滴を抜く=拘束しかない?
- 目的がないから寝てしまうのは当然
点滴を抜く=拘束しかない?
私の身内の80代後半の女性で、脳卒中などの身体の麻痺はありませんが、いわゆる加齢による認知症があるケースです。
彼女は、食器を洗うなど作業的なことはできますが、ずっと作っていた料理などは今は引退しています。会話等も、まだ普通に家庭で生活できるレベルですが、短期記憶、物忘れと言った症状は目立ちだしています。
そんな彼女が以前に2週間ほど入院し、病院にお世話になった時期がありました。
その病棟内では認知症に対する対策マニュアルがあるのかないのか、入院前に認知症であることは事前に伝えていましたが、スタッフは「どうしよう、どうしよう」と、少々混乱して焦っている印象を受けました。結局のところ、事前に予想できた問題が生じました・・・。
症状の改善のために、点滴にて抗生物質を注入する必要があったようですが、放っておくと自信で点滴の針を抜いてしまいます。
説明をして「抜かないでね」と伝えた時は、「わかった、わかった」と理解するが、やはり抜いてしまうとの情報を病棟の看護師から連絡を受けました。
提案された対策は以下の3つでした。
- 点滴の間、2時間ほど、家族が付きっきりで見守る。
- 手をミトンにより、強制的に使えないようにする。
- ミトンも外す場合、身体をベッドにベルトで固定して動けなくする。
ちなみに”ミトン”とは下の写真のようなものです。
手袋のように親指が独立してもいません。口を使ってなら外すことができるでしょう。
※ちなみに、ミトンや、ベルト固定は保護者である家族が承諾証にサインする形で行われます。
①の家族がつきっきりというのは一般的にはかなり難しいと言えます。仕事もあるでしょうし、平日の昼間から数時間の間つきっきりです。
自分の身内を拘束するのはやはり心が痛みますし、しかも、やむを得ずでも自分で承諾証にサインをしたら、まるで自分が拘束したような罪悪感に陥るのではないでしょうか。
上記の選択肢を変換すると「自分仕事をサボって見守るor拘束or拘束」この選択は見方によっては脅迫にも取れそうです・・・。
実際に見守りのために、行ける家族がいきましたが、点滴が開始されるまでに更に3時間待たされた時もあったといいます。計5時間ということですかね(^_^;)
もし、見守りが都合が悪くできない場合はミトンを装着。そのミトンも無理やりはずすのであれば、ベルト固定となります。
目的がないから寝てしまうのは当然
そしてもう一つ、入院中はほとんど寝たりだったようです・・・。
別に動けない、歩けないわけではありませんが、入院中は家庭と違い、食事も勝手に運ばれてきますし、皿も洗わなくて良いです。求められる仕事も作業もありません。
病人なんだから、短期間なら・・・しかし、認知症の傾向がある高齢者では、この環境はかなり危ういと言えます…。
入院していた病院は全てが個室でトイレとシャワーも部屋の中にあるビジネスホテルの一室のような造りでした。
仕事も、作業もなく、個室で喋り相手もいない部屋。私達なら、本を読んだり、スマホをいじったり、ちょっと歩いてみたりと選択肢はいくつかありますが、認知症の傾向のある高齢者の場合はどうでしょう。
目的がなければ、寝ているだけになってしまうんじゃないでしょうか?
「寝たきりにならないように家族の人はお見舞いに来てください」
また、さっきと同じで「全て家族に丸投げなの?」
そして、退院当日に「歩けるかわからないので、車いすを使いますか?」と言われました。
どうも、ご親切にありがとうございます・・・ではなく、「歩行確認もしてしないのか…」と思ってしまいました。
これでは、入院期間が長くなれば機能低下が起きるのは眼に見えています。
入院や介護で、介助者が疲弊していくのは知っていましたが、実際に身内で経験するとなかなか思うところがありました。
また、私は介護施設でも働いていた期間があるのですが、介護施設では他人とのコミュケーションを促したり、作業や活動を斡旋するようなことが行われていました。
まあ、2週間程度の短期間でそれを求めるのは難しいのかもしれませんが…
介護施設にいた時に、医療行為が必要になれば、施設入所者は入院することになります。そして、その入所者の方が良く言われていたのが、「ずっと入院していたら殺される」です。
認知症でなくても、自分で起きたり、車いすに移乗したりの行動が制限されている、身体障害をもっている場合、自分の都合ではなかなか移動がままなりません。
つまり、介護施設にいる時よりは、おそらく活動量は下がることでしょう。
病院によっては全く起こしてもらえなかったり、座らせてもらえなかったりもします。
身体を起こしてもらえれば、座らせてもらえれば、本を読んだり、パソコンの操作ができる人がずっと寝たきりです。
身体がなまって、もしくは、退屈で”殺される”という先ほどの表現になるかもしれませんね。
どんな対応が理想だったのだろうか
思う所がありましたが、実際にこのようにしてもらえたらなという家族目線での考えを述べていきます。
まず、点滴の対応のケースから考えていきます。
今回のケースですと、特に寝たきりにしなくてもいいわけなので、点滴中はナースステーションのスタッフの目の届く所に座って、テレビか本でも見ててという対応でも良かったのではないでしょうか。ナースステーションが常に空とはあまり考えにくいのですが。
もしくは、今のケースの病院ではなかったのですが、大部屋で疑似的に見守ってもらう形です。患者に見守りを任せるのは正直良いとは言えませんが抑止力にはなるかと思います。
大部屋でなくても、やはり、多少動ける方は広場のような場所でコミュニケーションを取ったり、顔を合わせる機会があれば、点滴中も誰かと話をしていれば、気が反れていたかもしれません。
あるいは、今回のケースでは難しかったのかもしれませんが、点滴ではなく、内服薬での対応でしょうか。
次に、いわゆる運動不足による機能低下、寝たきりの予防です。
これは行っている病院もあると思うんですけど、今回の病院がたまたまなのか、入院期間が短いと考慮されないのか…。
これも、先ほどの点滴と同じ考えで他者とのコミュニケーションを促す形でよいのではないかと思います。
ベッドで寝ているより、座って話をしている方が遥かに運動量も代謝も大きくなります。特別な体操までは望んでいません。
脳への刺激にもなりますし、退院直前まで歩けるか、歩けないのかをスタッフの誰もが把握していないという事態にならずに済むのではないでしょうか。
こういう点は個室しかない病棟のデメリットなのかもしれませんね。
私を含め、若者でしたらプライバシーを重視し、個室を好むかと思います。しかし、やはり選択肢は広く多くあった方が納得もしやすいのかな…と思う機会になりました。
今回のケースの問題点
個人や、施設、組織によっても対応は異なるかもしれませんが、医療と介護をきっちり区切りすぎのような気がします。
現に、医療・老人介護・障害者を扱う法律と保険制度は全て別の物、別の組織で取り扱われています。
例えるなら、一つの会社で一つのサービスを運営しているのに、別々の部署で自分たちの信じる仕事を黙々としているような印象です。おそらく、両者共に理解はできていないでしょう。
介護施設が病院への対応、病院が介護施設への対応はこうしてほしいというアンケートを市が調査しているのを拝見したことがあるのですが、やはり、問題視している点はばらばらのように見えました。
介護施設側は「もうちょっと機能を上げてほしいし、生活に戻った時のことを考えてほしい。」
病院側では「せっかく病院で治療して改善したのに機能を落とさないでほしい。」
こういった主張が多かったように思います。
両者に理解があった上で患者、あるいは利用者の最善を選択しなければいけません。
病院でも介護と予防の知識を、介護施設でも解剖学や医療の知識が必要ではないかと考えます。
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