私は医療機関、介護施設の2つでの勤務経験があり、双方の意見、考え方の違いを目の当たりにしてきました。
しかし、場所は違えどサービスを提供している対象者は同じはずです。
それなのに、食い違う意見が飛び交うのも、おかしな話だとは思いませんか?
これに伴い、一方がもう一方へ対する求める意見を調査したアンケートを元に、医療機関と介護施設でのリハビリテーションの考え方、意見の相違を分析、解説していきます。
医療と介護での考え方の違い
某市町村で行われたアンケート調査の結果を参考にして、医療機関と介護施設のリハビリテーション関係者、双方の考え方の違いについて、みていきたいと思います。
アンケート内容は、双方が片方に対して”期待する役割、求めている意見”です。
「こうしてもらえると助かる」
「ああしてもらえばスムーズに進むのに」
といった意見調査です。
私は、医療機関と介護施設の両方での勤務経験があるので、どちらの意見も良くわかるので、それを踏まえて解説していきます。
医療が→介護に 求める意見
- 向上してきた日常生活動作を維持してほしい
- 医療では”治す”に力を入れているので、介護では”支え”をしてほしい
- セルフのトレーニングの意識付けをして自立させてほしい
- 医療で達成できなかった目標と課題を継続してほしい
- 社会参加の支援に力を入れてほしい
①と②は言い換えるなら、
「医療機関でのリハビリで成長限界に達し、伸びしろはないので、維持やメンタルケア、生活の環境の設定に配慮してほしい」
といったニュアンスでしょうか。
適切に入院期間中に治療・リハビリが行えていたのならそうかもしれませんが、私の経験上では多くは改善が見込めます。
②で「”治す”に力を入れているので」と言いきってしまっているあたり、自分への自身(自惚れ)の表れが読み取れます。
全てではないですが、医療機関に存在するセラピストの悪い特徴として「俺の技術で治してやったぜ」という輩がチラホラ見受けられます。突如として起こる病気やケガなどの場合は、時間経過でも機能改善が生じるので、勘違いして、ついつい自惚れてしまいやすい環境と言えます。
結論を言えば、”治す”だけに注目するのは良くありません。それでは単なる作業になってしまいかねません。
疾患別リハビリと称して行われる日本の医療保険リハビリの闇とでも言いましょうか。「この疾患にはこの治療」というような考えを持った医師や、セラピストは大勢います。なぜなら、学校教育がそのように教えているためです。
個人を診ずに、疾患を盲目的に診てしまうと自分本位の治療・リハビリになりやすく、良い結果からは遠ざかるでしょう。
レールが綺麗に敷かれていると周りの景色には目もくれずに、レールの先が通じる終点以外は見えていないといった状況です。
③と④は言い換えるなら、
「時間(入院期間)が足りなかったからあとは任せた」
といったニュアンスです。
医療保険では、制限時間がついています。それも、リハビリ介入回数でも、関わった時間の合計値という訳ではなく、与えられているのは「今日~いつまで」という期間です。
つまり、何らかの理由で行えない日もカウントされてしまう場合もあります。
特に外来でリハビリを受ける際は仕事などの本人都合があっても期間が過ぎてしまう、受けにくいシステムとなっています。
そして、目標が達成できなくても終了になるケースが多いです。
これは、なかなか辛い現実と言えます。
私は成果制にするべきだと思っています。
例えば、一般企業で働いていて、企画資料を1か月後までに作るように頼まれて、了承したとします。そして、納期に間に合わずに「あとは任せた」は通らないですよね・・・。
しかし、このケースではそもそもの依頼内容が
「この企画資料を一か月後に”できるとこまでで良いから”作っておいて」
という内容です。
これに対して私は、常々疑問に感じて仕方ありません。
⑤の社会参加とは習い事や、サークル、友達と遊ぶ、買い物に外出するなど、他者との交わり全般を指します。
これらが全くなくなると鬱になったり、活動理由がないので身体機能も著しく低下すると言われています。
この社会参加をいかに配慮してアプローチできるかが、退院後のリハビリとも言えます。
もちろん、入院中でも配慮できると尚良いと思います。しかし、医療機関だけの視点ではこの辺りの社会参加や、日常の生活は話を伺うのみの想像になってしまいますが。
介護が→医療に 求める意見
- 本人や家族の想いを考慮した目標設定をしてほしい
- 在宅復帰 後の生活を考慮した目標設定をしてほしい
- 在宅復帰 後の生活を考慮したリハビリを行ってほしい
- 在宅復帰 前の入院期間中に住宅改修で使えない物を設置しないでほしい
①と②の目標設定では、上の項でも述べましたが、やはり「この疾患をどうやって治してやろうか?」と考えて目標設定すると、本人や家族の想いとの相違が生まれやすいでしょう。
「この人は何をしたいのか?」
「何ができなければいけないのか?」
「家族はどのレベルまで望んでいるのか?」
これを考慮する必要があります。
見落とされがちなのが、本人は「レベル3までできれば問題ないかな」と言っていても、家族は「いやレベル10まで必要です」と意見が食い違っている場合があります。
この意見の食い違いを放置したままで、介護サービスへ移行させると、おそらく介護サイドのスタッフ達からは白い目で見られるでしょう。
違う方向性に進んでおいて「後はよろしく」では、「医療機関のリハビリって自己満足の遊びなの?」と思われてしまっても仕方がありません。
本人と家族の希望を組んで、両者が納得する形で目標設定を設ける、あるいは説得しなければなりません。
③では当然、目標が明後日の方向へ向かっていてはリハビリ内容も的を得ない内容となってしまい最悪の結果となります。
④ですが、起こってはならないんですが、起こる時があります。
手すりの設置や、車いすが屋内に入れるようにスロープを設置したり、トイレを広くしたりと住宅改修が行われるケースがあります。
しかし、実際に生活してみると
「あれ?使いにくい…」
「ああしておけば良かった…」
と後悔しても、すでに工事は完了していますし、「失敗しました」と言ってもなかなか補助金はすぐには下りないでしょう。
稀に「大は小を兼ねる」という考えで適当に手すりを設置したり、過剰な住宅改修をしているケースがあります。税金で支払われる物なので、不必要な物を設置してはいけませんね・・・。
車いすや装具の場合も制度を使い、補助金で購入する場合は金額の制限と1度作ってから次回に作り直すまでに期間を空けなければいけないルールがあります。でなければ、無尽蔵に税金が消費されてしまいます。
正直、私も車いすや装具の作成に携わる時は金額を見ると緊張してしまいます。
金銭とその人の生活がかかっていますからね。なかなか責任が圧し掛かる内容ではあります。
失敗しまいためには、改修・作成業者と本人、家族と入念に相談をしつつ、シュミレーションが必要になるでしょう。これだけ気をつけていても失敗するケースもあるのですから、必ず細心の注意を払う必要があります。
双方の意見から導き出される応え
介護サイドの肩を持ったような解説と受け取った方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも、この調査アンケートの場合では双方の意見内容が、イーブンな立ち位置からの意見ではありません。
”医療→介護への意見”は、いわゆる想像と予測です。
”介護→医療への意見”は、結果を見た上での意見になります。
つまり、医療サイドは介護(その後の生活)のことがわからなくて当然の状況です。
自分から積極的に学ぼうとしたり、経験するために転職や、組織内移動でもしない限りはわからないのではないでしょうか。
当然、介護サイドでも同じことが言えます。
調査アンケートの回答にはなかったのですが、介護、特に福祉という言葉は”できないこと、障害があってもそれを個性と捉えて付き合っていく”というのが前提にあると教育されています。
それも一理あるのですが、端から「改善は見込めないから現状維持だ、重要なのは社会参加だ」と偏っていては、その人の可能性の芽を摘み取ってしまう形になります。
「治してやる」と粋がるのも、「もう改善はしないから維持」と割り切るのも良いとは言えません。
医療サイドは介護や、予後についての学習と理解を深めなければなりません。
介護サイドは、医療サイドはその後どうなったかを診れないことを把握した上で、介護サービスの受け入れが決まった段階で情報を聞き出し、目標や方針を提案する必要があるでしょう。
医療機関、介護施設の2種を経営する大きな組織では、人材教育で理解を深めるために、双方を経験させるといったこともされています。私の経験からもこの2つの理解は必ず重要であると言えます。
このように双方が理解し合い、フィードバックの機会を設け、この溝を埋める努力が必要ではないでしょうか。
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